手打ち野球、そして転校
どうも、peanutsです。
今日は小学校低学年の頃について書こうと思います。
僕は昔、どちらかというと大人しい子どもでした。仲の良かったクラスの友達に誘われて2年生の頃くらいから中休みや放課後に手打ち野球をするようになりました。
知ってますかね?(笑) 手打ち野球。
ドッジボールのボールを投げ、バットの代わりに手で打つ野球。
それが手打ち野球です。
みんなでやる手打ちが僕は大好きで、そのまま放課後に友達とキャッチボールをしたり、野球をしたりして遊ぶようになりました。
小さい頃はまだ広場で野球できてたことを考えると、今は野球しにくくなったように感じるな(笑)
仲の良い友達が小学校の野球チームに入ったことをきっかけに3年生で野球を始め、それからプロ野球などにも夢中になっていった。
野球チームは区で一位をとるくらい強いチームで、僕の所属していた1年生から3年生までのCチームも大会で準優勝した。Cチームは人数がギリギリだったこともあり僕も下位打線でセンターやセカンドで試合に出れた。
だんだん人数が増えレギュラー争いなどが始まり出した3年生の終わり、僕の転校が決まった。
昔から父親は仕事の都合で転勤が多かった。宮崎で生まれ、その後福岡、山口、東京、東京、そして今の埼玉と小さい頃は転々としてた。
東京の環境は当初僕にとっては一番住んでいる期間が長く、住んでいた練馬の環境が僕にとって大切だった。離れたくなかった。
もちろん決まったときは泣いたし、仲良くなった友達たちと離れることは本当に辛かった。
今でも自分の性格で、昔のことをずっと大切にしたり、引きずったりすることが良くあるけど、この引っ越しが思い返せば始まりかもしれない。
もし引っ越さなければ今と全く違った人生になっていただろうし、野球を結局1年でやめることはなかっただろう。
引っ越した先では最初なかなか馴染めず、気の合う友達は最初あまりいなかった。
手打ち野球なんて遊びもなかったし、引っ越した先で空手をするため野球チームに入ることもなかった。
野球はテレビでプロ野球見るくらい。
僕は野球はもちろん好きだったが(今でも好きだが)、あの頃何よりも好きだったのは練馬のたくさん気の合う友達のいる環境だったのかもしれない。